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京菓子辞典


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50音別          

ジャンル別 歴史 主菓子 干菓子 菓子器関連 好み菓子

季節別  4月  

歴史
花見
はなみ
桜の花を愛でること。
洛南醍醐の花見は、豊太閤の昔から今も残る催しである。


  都をどり
みやこをどり
京の春は、都をどりではなやかに幕が開ける。
明治五(1872)年に開催された博覧会の余興から始まり、百年余りの歴史がある。
舞台で、若い舞妓の「都をどりは、よういやさーーー」の声は、耳をはなれない。


  金平糖
こんぺいとう
幕末のころから明治末期にかけて、南蛮菓子が全盛時代であった。金平糖は永く貯蔵ができ「振出し」など、春の野点にふさわしく美しい菓子である。
金平糖の語源はイスパニア語のコンフェイトス(Confeitos)である。
最初に伝来したのは、南蛮菓子の一つとして紅毛人より長崎に伝えられた時であり、コンペイトウの日本名も金平糖、金米糖、金餅糖、渾平糖、糖花などといっている。
永禄十二(1569)年に二条城に金平糖が渡来している。
また、京都相国寺鹿苑院の鳳林承章の日記にも寛永二十(1643)年四月十三日の条に、肥後国から上洛した人がみやげとして肥後の焼物の中にコンペイトウを入れて贈ったと伝えられている。西の方からしだいに東に移り、元禄の頃には大阪でも作られている。
井原西鶴が貞享五(1688)年に、『日本永代蔵』の「廻り遠きは時計細工」の項に金平糖をつくって金を儲けた話を取り扱っている。
ケシの種が芯となっていて、その実をセンターにして砂糖蜜をふりかけるのであるが、その操作は、たらいのような平底の大きい(つのかけ釜ともいう)を適度の傾斜にささえて回転させ、
下から絶えず加熱しながらその中にセンターを入れ砂糖蜜をふりかけ、乾燥するときの凝固力を上手に利用しているのである。
ただし、釜の傾斜が悪かったり、回転がはやすぎたり遅すぎたりすると、角がうまくでず、単なる丸い砂糖団子になるおそれがある。難しい菓子なのである。


主菓子 花筏
はないかだ
花筏とは、水面に散って流れてゆく花弁を筏に見立てたもの。
菓子の花筏は、求肥製に焼印で桜花をちらしてあり、禁裡御用の古い京菓子として伝えられている。銘は御所から賜り、花筏の細長い丸太の形に、晩春にふさわしい、器の中の組み方によって筏のごとくに形づけてある。
茶味のあるもので、皮のやわらかい紅に染められた肌は口当たりが大変よい。


  花紅
はなくれない
緑色と紅色の染分に仕上げたきんとんで、黒餡入りで紅餅種になっている。
花は紅、柳は緑から、四月に裏千家十五代 鵬雲斎が好まれた。
春の景色の美しさを形容された菓子で、京の町をあらわしている。

  柳桜をこきまぜて  都ぞ春の錦なりけり


  花見団子
はなみだんご
春の茶会にふさわしい菓子である。白煉餡を紅に染め、緑色は蓬をまぜて、また漉し餡の三色の団子を青竹串にさす。また漉餡と白餡と漉餡の三色にすることもある。この場合には、芯に米の粉を団子に使うこともある。


  花衣
はなごろも
うす紅のねりものを薄くのばし、二つ折り、桜の花型を一輪つけている。美しく、春らしい菓子である。
また、二種の色を重ねて二つまたは四つに折ったもので、桜襲ね(かさね)からでた名でもある。


  花かすみ
はなかすみ
薯蕷の上にほのかな春の色を彩ってぼかしあげ、二本の焼線で霞を連想させている。

干菓子 稚児桜
ちよのこぶしちござくら
親指の頭ほどの丸い有平を紅白の捻じに染め分けて、真中がへこませてある。銘のごとく、可愛らしい有平である。


 
ちょう
弥生に続き、蝶は型を変えて出される。打物、片栗にかぎらず有平糖でもできており、春になくてはならない干菓子で、取り合わせによってはいろいろ組み合わされる。


  紫雲英
れんげ
三、四月頃、田んぼや畦に咲きあふれる紅紫色の小花が紫雲英(れんげ)の花である。紫雲英は有平細工で表現する。

参考文献:『茶菓子の話』(淡交社)、『カラー 京都の菓子』(淡交社)。すべて鈴木宗康先生著



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